ラッセル『批判的解説』chap.1, §3-4.

3.

ライプニッツの哲学は、二種類の非一貫性を含んでいるとわたしは主張するだろう。その一つは簡単に除去されるが、もう一つのほうは、《モナドジー》の哲学に似たどんな哲学にも不可欠である。第一の種類〔の非一貫性〕は、ライプニッツの時代に広く受け入れられていた諸意見に衝撃を与える諸結果を認めることへの恐れを通じてのみ生じる──それは、罪の維持と神の実在のための存在論的論拠の維持である。そのようなもろもろの非一貫性が見いだされるところで、王子たちの笑顔に依存するわけではないわたしたちは、ライプニッツが忌避した諸結果をあっさりと引き出してしまうかもしれない。そしてわたしたちがそうしたとき、わたしたちは、ライプニッツの哲学のほとんど全体が、少数の前提に引き続くものであるということを知るだろう。彼のシステムが適切にかつ必然的にこれらの前提から引き続くということの証左は、ライプニッツの哲学的卓越の証拠であり、彼による哲学への恒久的な寄与である。しかし、この演繹の進行において、わたしたちは、第二の、より重大な非一貫性の階級に気付く。諸前提自体は、両立可能であるように思われるが、議論の進行において、矛盾する諸結果を引き起こすということに気付かれるだろう。それゆえわたしたちは、一つかそれ以上の前提が偽であると判断するよう強いられている。わたしは、ライプニッツ自身の言葉からこのことの証明を試み、少なくとも部分的に、彼の諸前提のどれが間違っているかを決定するための諸基礎を与えるよう試みるだろう。このようにして、わたしたちは、彼のように非常に注意深く、非常に徹底的なシステムを検討することによって、独立した哲学的諸結論を確立することを期待しうる。これらの結論は、演繹を引き出すことにおける彼の技量がなければ、容易には発見されえないかもしれない。


4.

ライプニッツの哲学の主要な諸前提は五つあるように私には思われる。諸前提のいくつかは、彼によって明確に示されたものであるが、他の諸前提のほうはあまりにも基礎的だったので、彼はそれらをほとんど意識しなかった。わたしはこれからそうした諸前提を列挙し、この後のもろもろの章において、ライプニッツの残りの部分が、これらからどのように引き続いていくかを示すよう努めるだろう。問われている諸前提は以下のとおりである:

I. どんな命題も一つの主語と一つの述語を持つ。

II. 一つの主語は、さまざまな時点で、実在するもろもろの質である諸述語を持つかもしれない。

III. 特定の時点で実在を強く主張するのではない真の諸命題は、必然的かつ分析的であるが、例えば、特定の時点で実在を強く主張するような真の諸命題は、偶有的かつ総合的である。後者は諸目的因〔最後の諸原因〕に依存する。

IV. 《自我》は一つの実体である。

V. 知覚は、外的な世界の知識を、すなわち私自身と私の諸状態以外の知識を、すなわちもろもろの実在するものの知識を産出する。

ライプニッツの哲学に対する基本的な異議は、第四の前提および第五の前提とともにある第一の前提のこの非一貫性であるということに気付かれるだろう。そして、この非一貫性において、わたしたちはモナド主義への一般的な異議を見いだす。